かって、米国のある美術大学から招聘を受け、訪問作家(Visiting
Artist)として、私のメゾチントの作品と技法とを学生達に紹介する機会を持ったことがあります。版画を専攻している学生達が、誰ひとりメゾチントを試みたことがなく、また私のメゾチント作品のサイズの大きさに、皆一様に驚いていました。彼らがメゾチント作品の美しさに憧れてはいるものの、試した経験がないのは、その制作時の板の素地作り、いわゆる「メゾチントの目立て」に嫌悪感を抱いているからだと理解しました。
目立ての作業は目立て専用のべルソー(またはロッカー)と呼ばれる櫛目状の道具を用い、その歯を銅板上に縦、横あるいは斜めに規則正しくうがち、板の表面が完全にその歯の跡で覆われるまで続けます。たとえばA4サイズの鋼板をメゾチントの素地にするのには、私の場合、おおむね10〜12、3時間程度を要します。米国のある学生が言った、「メゾチントはPatient
Technique(忍耐技法)だ」というのも頷けることです。しかし、このPatienceがメゾチント特有の漆黒の面を作り、黒から白までの無限の濃淡を作り出す母体となるわけです。油彩画であれば、下地作りに匹敵するわけですから、手を抜くわけにはいきません。絵柄の内容、作品のサイズによりベルソーの歯の種類(1インチ幅に何個の歯があるかで65番、85番、100番などに分かれています)を変えたり、あるいは、部分的に目立てを施すこともあります。
メゾチントの原版が出来上がった段階で、いよいよ描写に入ります。メゾチントの場合、描写は削りの作業になります。完全にベルソー処理が施された素地は、きめ細かい金ヤスリのささくれに似た表面になります。スクレッパーと呼ばれる彫刻刀で、このささくれを丁寧に削り落としていきます。漆黒の面、グレーの段階はこのささくれの深さ、密度で表現されます。もっとも白く表現したい箇所はスクレッパーで処理した後にオイルを加え、スプーン状の道具、バニッシャーで磨きを加えます。
忍耐技法とはいえ、メゾチントの罠に40年余も掛かっています。
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